こんにちは、「ぞろタイ」です!毎月ぞろ目の日を「児童文学ぞろ目の日!」として、児童書の作り手や届け手、絵本や児童文学を心から愛する人たちが、イチオシの児童書を紹介していきます。
先日、あるきっかけで『不思議の国のアリス』に登場する“いかれ帽子屋”が、いかれ帽子屋と呼ばれるようになった所以を書いた。帽子屋は何か退っ引きならぬ理由があって、あのような有様になったのだろうと想像した。
その過程で“いかれ帽子屋”を検索したのだが、当時のイギリスでは帽子製作の際に水銀を多用しており、水銀中毒者が多くいたようだ。要は本当に“いかれ”る帽子屋が多かった。イギリスには「mad as a hatter(帽子屋のように気が狂っている)」という慣用句があるほどで、当のいかれ帽子屋もこの慣用句に端を発しているらしい。
数々の魅力的なキャラクターやワンダーランドならではの非日常感という華やかで面白い要素の一方で、この作品には寂しさや不気味さが確実に存在している。これは本作に当時の世相や価値観や偏見…人間がリアルに対峙している問題が散りばめられているからだろう。
アリスが「おかしな人!」と疑問に思ったり「なんて素敵なの!」と感動したり、不思議の国を見て感じていることと、不思議の国の住人たちがアリスを見て思うことは実は同じだ。ちょうど、私があなたを見ている時と、あなたが私を見ている時とが同じなように。私の常識があちらの非常識ということだって往往にしてあり得る。人は、1人1人が魅力的でも不気味でもある“不思議の国”なのだ。
童話とはこうでなくちゃと思う。陰があってこそ、人間のリアルが織り込まれてこその童話。その織り込み方に作者の技量が問われるのだろう。
(ひなた あおい)