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【自作を語る 第19回 木村有子さん (翻訳家) 】

 10月10日 児童文学ぞろ目の日!

【自作を語る 第19回 木村有子さん (翻訳家) 】 

      

『こいぬとこねこの おかしな話』
作・さし絵 ヨゼフ・チャペック
訳・木村有子 (岩波少年文庫)

翻訳の木村有子さんご自身による、本の紹介と、ミニインタヴューです!

ぜひ、読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

 

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  ヨゼフ・チャペックが、お話も絵も手がけた全10話からなる『こいぬとこねこのおかしな話』(岩波書店)が、チェコスロヴァキアで出版されたのは1929年でした。ヨゼフは、弟カレル・チャペックと若い頃から戯曲や評論を共同で書くなどしていましたが、画家としても精力的に、また他の作家の本の挿絵や装丁デザインも手がけるなど活躍していました。そのヨゼフが、ひとり娘のアレンカのために作った、こいぬとこねこが主人公のお話が、当時勤めていた人民新聞に連載され、後に本として出版されたのです。

『こいぬとこねこのおかしな話』の話はどれも、しっかりもののこねこと、ちょっととぼけたこいぬが、何でも人間と同じようにやってみたいと思って実際にやってみる話です。まじめに、ありとあらゆるふたりの好物を入れた誕生日のケーキを焼いたり、子ども達へ手紙を書いたり。そして、いつも「ああでもない、こうでもない」と、意見を言い合っています。チェコスロヴァキアでこの本はとても人気が出て、一家に一冊あると言われる児童文学の古典となりました。そして、今でも書店に平積みされ、愛読されています。

「こいぬとこねこの本を、新訳でやってみませんか」と編集者に言われた時、私は驚きのあまり言葉が出ませんでした。私とこの本の出会いは、チェコスロヴァキアの小学生だったときに遡ります。一番初めの話「こいぬとこねこが床をあらった話」の中の、こいぬがブラシ代わりに、こねこがタオルになって、お互いのからだで汚れた床を洗うという思いつきは、笑い声をあげるほどおかしく、この本がいっぺんで気に入りました。あの楽しい本を、私の新訳で!?原書を読んでみるとお腹の底からふつふつと笑いが沸き起こりました。チェコ独特ともいえるこのおかしさを、何とか日本の子ども達にも伝えたい、と自然に思えた時、翻訳をお引き受けしました。

  翻訳を始めてからは、こいぬとこねこと会話を楽しむ毎日が始まりました。私が夫に話す時の口調がこねこのようになっていると、ハッとしたこともあります。ヨゼフ・チャペックさんもお話に登場して、すっかり友達になれたような気持ちになっていました。そして、楽しいお話を訳し終えた後、私にはあとがきを書くという仕事が残っていました。

小さいゆえに、歴史に翻弄されてきたチェコ人の国。ヨゼフ・チャペックさんの運命については、やっとの思いであとがきに書きました。機会があれば読んでいただけたら幸いです。
(木村有子)

 

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 ここからは、木村有子さんにミニインタヴューです!

 

(1)小さいころにチェコに住まわれたことは、木村さんのアイデンティティ形成に影響したものと思います。これまで、「自分は何国人だろう?」と自問したようなことはありますか? そこからどのような答えが出てきたのでしょう?

 

ーー「自分は何国人だろう?」と悩むことはありませんでしたが、アイデンティティと日本とチェコの国について考えるのはどんな時か、エピソードを交えてお話しすることにします。

「私は半分チェコ人だからJsem polo japonka」と、今でも冗談めかして言うことがあります。チェコで、世代が少し上の人達の話す小話のようなジョークの落ちがわかって、チェコ人と同時にわっと笑えたときなどです。そして私は、チェコでの滞在日数が長くなると、無意識のうちにすっかりチェコ人のように振舞っているらしく、チェコ人に指摘されて、ハッとしたときもそうです。
両親が日本人で、日本生まれの私が社会主義国だったチェコスロヴァキアへ渡ったのは、8歳の時です。チェコ語は、現地校の担任の先生が放課後家に来て、熱心にABC(アー・ベー・ツェー)から教えてくださいました。「日本から来たYukoだよ」と先生を始め、友だちや近所のおじさん、おばさんにも大切にされました。

でも、5年生の終わり頃になると、このままでは日本語がおぼつかなくなるという理由で、チェコスロヴァキアからひとりで帰国し、父の郷里の小学校へ転校しました。そのとき、カルチャーショックを受けました。見た目も同じ日本人なのに、私はクラスで誰からも相手にされませんでした。靴かくしや給食でのいやがらせを受けるようになった時、チェコで温かく見守られていた頃とのあまりの違いに愕然としました。

「なんで同じ日本人なのに、仲間に入れてくれないんだろう」簡単には行けないチェコへの思いがますます募っていったのでした。チェコの絵本が心のよりどころとなり「私は日本人だけど、絵本を紹介してチェコの心を伝えたい」と思うきっかけが、芽生えたのかもしれません。

今は、仕事がらみで毎年チェコへ行くことができますが、もしチェコに何年も行かなかったら、とても落ち着かなくなるような気がします。見た目が100%日本人でも、私の中をのぞくと、かつてプラハで過ごした日本人少女(ヤポンカ)が「早くチェコに帰りたいよ〜」と、声をあげるからです。

 

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(2)翻訳者にとって、あとがきは最後に自分の言葉で語れる場と思います。今回のあとがきで思いをこめた部分はありますか。また、毎回の「訳者あとがき」執筆で、「このことには触れよう」と決めているような事項がありますか。

 

ーーヨゼフ・チャペック作『こいぬとこねこのおかしな話』のあとがきを書くのに、実はとても悩み、書き終えるまでにはしんどい思いもしました。
ひとつには、この本を日本で最初に翻訳された井出弘子さん(いぬいとみこさん共訳)のあとがきが、大変詳しかったので、私にはもう書く余地がないのでは、と思ったからです。私はヨゼフ・チャペックの最期を知っていましたので、その事実を、子ども向けの楽しいこいぬとこねこのお話のあとがきで、どのように書いたらいいのか、本当に悩みました。

井出弘子さんのあとがきを何度か読みました。読むたびに、字は涙でにじみました。そして、いったん本を置いて、しばらくは続きを読めなくなりました。
  さて、今度は自分があとがきを書く番になりました。助けになったのは、編集者のアドヴァイスです。

「木村さんにしか書けないあとがきを書いてください。それは、子どもの頃にこの本が好きだった、チェコに暮らしていた木村さんです」

  何度か書き直しをしていたあとがきの出だしを、また全部やめて、白紙から書きはじめました。その後は、一気に書けました。しかも、3200字以内という字数を聞いていて、書き終わったら3200字より1字少ないぐらいの誤差でした。チャペックさんの後押しがあったのでしょうか。自分が泣き虫なので、感情を抑えるくらいの気持ちで、でも事実はしっかり伝えようと思いました。

あとがきを書くのは、カレル・ヤロミール・エルベン作、アルトゥシ・シャイネル絵『金色の髪のおひめさま チェコの昔話集』(岩波書店)に続き、これが2作目です。エルベンは、約200年前の人なので、今回とは違い資料がほとんどありませんでした。それに比べてヨゼフ・チャペックは、カレル・チャペックの兄でもあり、激動の時代を生きた人だったので、チェコスロヴァキアの現代史をわかりやすく解説しながら書く難しさがありました。

 

・・・・・・・

(3)今回、古典的名著の新訳を行うに際しては、どのような意味や役割があると考えられたのでしょうか? また、今回の本の最新訳者として、この先何十年後かの次の訳者に、何か1つ、課題と言うか宿題を出していただけませんか?

 

ーー(2)とも少し重なりますが、古典的名著を新訳で、というお話を出版社にいただいた時は、私には荷が重すぎて即答できませんでした。でも、以下の理由から訳書、原書を読んでからお答えすることにしました。

 

1、子どものときに大好きな本だったこと。
2、チェコでは一家に一冊あるほどの児童文学の古典であるにもかかわらず、現在日本の子どもが読める形で本が出ていないのが残念だったこと。

 

  訳書、原書を読んでみて、まず原書の面白さに惹かれました。原書も1929年刊、と古いのですが、今の日本の子どもたちに楽しく読んでもらう工夫ならできるかもしれない、と前向きに考え始めました。翻訳から半世紀近く経っているので、少し言葉づかいが古いかな、子どもにわかりにくいかな、と思われる点は、編集者と率直に話し合いました。

約半世紀後に、私の翻訳文がそのとき使われる日本語の感覚にそぐわなくなっていたら、そのとき新訳が検討されるのではないかと思います。
  次の訳者に何か課題を出すとしたら、というご質問には、こうお答えします。

「子どもの目線に立って、しかもなるべく息の長い翻訳をされるといいですね」

『こいぬとこねこのおかしな話』が、それぐらい長く日本の子ども達に読みつがれたら、ヨゼフ・チャペックも、きっと喜んでくれることでしょう。

(木村有子)

 

【木村 有子 さん プロフィール】
東京都生まれ。1970〜73年、プラハの小学校に通う。1984年、日本大学芸術学部卒業。1984〜86年、プラハ・カレル大学。新聞社勤務の後、1989〜94年、ドイツのフランクフルト、ベルリンの大学でスラヴ語圏の言語を学ぶ。翻訳、エッセイ、講演などを通して、チェコの文化を日本に紹介している。児童書の訳書に『金色の髪のお姫さま チェコの昔話集』(岩波書店)、絵本の訳書に「もぐらくんの絵本シリーズ」(偕成社)、『どうぶつたちがねむるとき』(偕成社)、『おとぎばなしをしましょう』(プチグラパブリッシング)、『ゆかいなきかんしゃ』(ひさかたチャイルド)、アニメーション映画の字幕翻訳に「真夏の夜の夢」など、多数。

 

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木村有子さん!
貴重なお話を、ありがとうございます!!!!!
\(^o^)/

 

なお、2017年10月15日(日)、

銀座の教文館で 木村有子さんの講演会があります! 詳しくはお店のサイトをご覧下さい♡

http://www.kyobunkwan.co.jp/narnia/archives/info/35ae0f00

 

 

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